喜びにも,悲しみにも,はじまりがあって,おわりがある。はじまりがない一冊の書物なんてないし,おわりのない一冊の書物もない。パソコンの社会も,同じ。
NEC社はPC-9801投入から20周年となるパソコンを含むパーソナル事業で,2001年度は300億円の赤字,今年度上期も赤字は必至となっている。今年の冬モデルは同社のパソコン事業の命運を左右する製品と云える。パソコン事業売却という話も出て,いままで同社にはなかった施策が繰り広げられている。
NECのパソコンハードのシェアが,いまのマイクロソフトのウインドウズOSほどもあったときのことが,昨日のように思い出される。PC-88・PC-98以外のパソコンハードをみることなんて「珍しい」ことだった,富士通のFMシリーズやシャープのX1など,NEC以外のその他大勢が,いまのマックOS以下のシェアをわけあっていたようなものだった(MSXとかは除くけどね)。そのときに,誰が,いまの,NECを予想できたか?
ふと,数年後,前段落の「NEC」の言葉が「マイクロソフト」に変わる日もくるのだろう。NECのパソコンがなくなる,という言葉にいいようのない寂しさを感じるように,でも,すべてにおわりがあるように,刹那の流転,永劫の流転は繰り返す。その繰り返しが,社会と呼ばれるものになる。ページは繰られ,いつかいつしか終わりのページとなる。
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